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2015年06月27日 (土) | Edit |
皆様、こんばんは。
随分遅くなりました。

今日は家内のお父上と飲んでまして、結局この時間になりました。
もう深夜の二時半ですね。いろいろ政界の裏話を聞くことができました。

最初はビールの500mlを二杯飲んで、そこからワインを二人で二本空けた
感じでしょうか。お互い明日も予定があるので、そこでやめましたが、
予定があって本当によかったと思います。
(でないと朝まで行ったでしょう。)

さて、例の原稿ですが、今回が最終回です。
元々これを最後まで公開するのが目的でしたので、
明日以降は、更新が不定期になります。

が、とりあえずご覧ください。
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9.エピローグ
ここまでお読みいただきありがとうございます。前段からあれほど熱心にアナログのお話をしておきながら、それを否定するかのように、デジタルの話が出てきたことにびっくりされた方もおられるでしょう。

けれども、今回のお話は、決してアナログを否定しているのではなく、むしろアナログもデジタルも肯定するというスタンスにおいて、その上の階層から、デジタルを有効に活用していこうという試みについて語っています。アナログからデジタルに、左から右に移行するという直線的な移行のお話ではありません。

同様に、西洋の成功哲学に対しても同じスタンスを取っています。つまり、西洋の積み重ねの文化を認め、東洋の伝統文化を肯定しつつも、日本的な和の「あり方」をそれらの上位階層に位置づけ、両者の統合を先進的に果たすものです。

こうした流れの中で、日本人のための成功法則という観点からは、日本人の「あり方」を中心に語らせていただきました。その世界はアナログにもデジタルにも通用するものであり、またなくてはならないものです。

そうした日本人の「あり方」を、「いつか世界がわかってくれるだろう」とじっと待つ方法もあります。しかし、世界がこれほど早いスピードで動いている中で、一体誰が日本に目を向けてくれるでしょうか。

もちろん日本の伝統芸能が世界から再評価されていることはわかります。けれども、それは、私たちがたまに都会から田舎に行って、「やっぱり田舎は落ち着いていていいなあ」と言うのと大差ありません。そこに文明を動かす力はあるでしょうか。

今はまだ半信半疑に思うかもしれませんが、これから間違いなく、「個人の幸せ=全体の幸せ」となる時代がやってきます。逆に「自分だけ良ければいい」という考えはますます通じなくなるでしょう。なぜなら、日本語族はそのような民族ではないからです。

人類の至宝ともいえる言霊を自由に扱える民族として、今一度誇りを取り戻し、世界の適正化ができるよう、日本人一人一人が自立して活躍できる日が来ることを願ってやみません。そして、皆様が五次元の叡智を使って、本来の自分の生き方を設計できますよう、心よりお祈り申し上げます。

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2015年06月25日 (木) | Edit |
皆様、こんばんは。

アルコールは相変わらず摂り続けています。
これをガソリンというのか、潤滑油というのかわかりませんが、
それがないと活力が出ないのです。
(というか、そう自分を設定しているということです)

今日はビール二缶の後、今日本酒です。
ちょっと前は冷蔵庫が二つあって、一つはアルコール専用でした。
今はさすがに一つですが、世界に異変があっても、
これには当面困らないぐらいの備蓄があります。

何を言ってるんでしょうか。

これから言うお話は妄想ですので、あまり真剣に受け取らないでください。
ただ私の中では、ひょっとしてという思いもあります。

それはムー大陸のお話です。この言葉で既に「とんでも系」ですね。

般若心経という経典がありますが、あれは既にムー大陸にあったともいわれます。
「色即是空、空想是色」のそれです。

また、ムー大陸では日本語が話されていたという説もあります。

更に、「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」の「南無」とは、
日本から見て南の「無(む)」すなわちムー大陸のことだという
(どこかの本に書いてあった)言い伝えもあります。

更に、更に、私が二十代の頃にバーテンダーやっていたお店が
恵比寿の「ムー」というお店でした。・・・これは関係ないか。

つまり、ムー大陸には何かある、という強引な結論です。
ムー大陸が「無」の大陸だとすれば、何も無い大陸であって、
そこに何かある、とはこれいかに。(一応公案なんですが)

で、結局海の底に沈んだんですよね。
世界のあらゆる神話や宗教に、「洪水伝説」が出てくるのは、
アトランティスも含めその話をしているとしか思えません。

妄想なんですが、子供の頃からそんな夢をよく見てました。
なので、そんなことがないように願いたいですね。

というわけで、続きをどうぞ。
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(6)デジタルで成功するということ
もし時代が時代であれば、デジタルは不要であり、アナログで全ての問題が解決できるはずです。しかし、今の時代は、デジタルで極めて便利になっている世界もあれば、それにより、取り返しのつかない事態も存在します。

先の2045年問題を出すまでもなく、人類がコンピュータの有用性に気づいて以降、あらゆる制御をコンピュータに任せるようになりました。全体を見据えての計画であれば問題ないのですが、たとえば、森林を機械的に伐採するなど、環境破壊も著しく進んでいます。また、金融界ではありもしないお金がコンピュータ画面に存在し、その利息を返すために、数々の自然が壊され、未開の地に住む人々が搾取され、不要な商品が世に送り出され、薬品漬けの食物が市場に提供されています。

そのあまりにも目まぐるしいスピードに、精神のコントロールを失い、身体を害し、職場に復帰できない人も日増しに増えています。結局はコンピュータのはじき出した数字に帳尻を合わせるため、世界中の人々が自分や国の終着点もわからずに、あくせく働いているというのが現状です。

こうしたスピード化の時代に、山にこもって5年、10年修行する暇はあるでしょうか。決してアナログの世界を否定しているのではありません。世界の現実がそうだということです。コンピュータ制御された重機で森林を破壊するのを、人間が一輪車とスコップでどこまで復元できるでしょうか。1秒間に数万回の株取引ができる時代に、一体何人いれば、そのスピードに対抗できるのでしょうか。

言霊を機械から発信するという発想もそこから来ています。個人の幸せだけを考えるのであれば、機械などいらないでしょう。自分だけで十分にやっていける世界があります。しかし、現在の地球号はある意味、タイタニック号の状態であり、沈む直前の船の中で嬉しそうにステーキを食べるという行為がいかに愚かしいことであるか、気づかねばなりません。

よく、言霊の機械で個人的なこんな欲望は実現しますか、と聞かれますが、そんな時には、ステーキを食べる前にもっと全体を見た方がいいですよ、とアドバイスしています。逆に、全体が無事であれば、あとは個人の自由です。言霊は四次元世界では音や文字に姿を変えますが、その実は人類の至宝であり、個人的にそれを利用するという行為はできないことになっています。しかし、全体の繁栄に結びつく個人や法人の繁栄は、その結界を超えることができます。

デジタルであればこそ、その影響力はアナログをはるかに凌ぐものであり、全体設計なしに個人の願望を叶えることはできないと覚えておいてください。これからの成功とは、全体の成功と個人の成功が一致したものになるということです。そこにコンピュータを使った新しい時代の成功法があります。

2015年06月24日 (水) | Edit |
皆様、こんばんは。

時間は自ら作らないと流されてしまうわけですが、
どうも疲れが溜まっているようで、やる気が出ない時もあります。

そんな時は何もしないわけですが、
おかげで、注文した本のほとんどが読めていない状況となっています。
そもそも何を注文し、どこに置いたのかもわからなくなってきました。

それではまずいので、近いうちに整理しようと思います。

そういえば、録画した番組も全く見れてませんね。
1年前のものも、まだ保存されたままです。
こちらも整理が必要ですね。

と、まあ、どうでもいい話をしてしまいましたが、
これを最新の曼荼羅マトリクスに入れて、情報発信すると、
簡単にできそうな気がします。

column11_3_img1_l.gif
(ITpro by 日経コンピュータより)

これは曼荼羅マトリクスの一例ですが、様々な応用が可能です。
この階層構造、入れ子構造は、次元の展開を表しているともいえ、
整理をするのに大変役立ちます。

あとは、怠け心を出さず、ちゃんと作ろうと意図することが大切ですね。

では、続きです。
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(5)今、なぜデジタルなのか?
ここでもう一度アナログの世界を振り返ってみます。本稿の前の部分で西洋の一神教についてお話ししました。そこでは、人間は原罪により神になることはできないと教えられます。逆に神の許可を得たとなれば、(実際は人間が勝手に決めているのですが)目的のためには何をやってもいいことになります。

そこにはある種の自暴自棄的な姿が見え隠れします。つまり、周りがどうあれ、目的を達成することがすばらしいと自らを信じ込ませる異様な光景です。その際に実は彼らから罪の意識が消えることはありません。それ故真の成功を果たすことはできず、例外を除き、最後は人から恨まれます。ロックフェラー一族の誰であったか忘れましたが、誰に襲われるかわからないので、ライフルと一緒でないと眠れないという人物もいます。

つまり、原罪や業(カルマ)という世界は、それほどに影響力があるということであり、それがあるゆえ、見かけの成功はできても、誰からも喜ばれる本当の成功はできないのです。こうした罪や業に関する問題は、西洋だけのものではありません。インドや日本にも存在します。しかし、本件に関する限り、これまでの歴史において、アナログで根本的な解決ができたことは一度もありません。

果たしてこれを救う方法があるのでしょうか。そのヒントは『量子進化』(ジョンジョー・マクファデン著)に出ています。つまり、アナログではなく、量子レベルの働きかけで解決できるのではないかということです。またそのような機械の出現も予言されています。

電磁波がDNAに影響を与えるのは、よく知られた話です。とすれば、量子レベルの微細なエネルギーでDNAに眠る先祖のカルマが解消できたとしても不思議なことではありません。仮にある霊能者が一晩かけて、三人の先祖のカルマを除去できたとします。では、何千何万といる先祖の全てのカルマを消去するのに、一体何年かかるでしょうか。

これは何も特定の人物だけの問題ではありません。世界全体を清浄化するのにどれだけ莫大な時間をかけたらいいのかという問題です。しかし、答えは既にあるのです。

2015年06月23日 (火) | Edit |
皆様、こんばんは。
昨夜アップした記事が「下書き」になっていて、
投影されておらず失礼いたしました。

今日は、ついに出た『言霊開眼』のお話をしたいと思います。
(こちらは月内までにアマゾンか書泉グランデさんで発売予定です。)

言霊開眼

この『言霊開眼』は、小笠原孝次先生が書かれた「言霊三部作」の最終作にあたるものです。二作目の『言霊精義』もそうでしたが、非売品のため、関係者の手元にしか届かなかった貴重な書籍です。

言霊というと日本語五十音それぞれが思い浮かびますが、本書はその言霊が発動される仕組みを言霊曼荼羅という目玉のような図に照らし合わせて説明しています。

その中心となる言霊が何であり、それをどう体感するかが、小笠原先生がお出しになった最後の公案といわれます。もちろん、その答えは本書に出ているわけですが、頭の理解ではなく、それを自分のものにできるかどうかがカギとなりそうです。

では続編をご覧ください。
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(3)世界はデジタルで動いている
恥ずかしいお話ですが、私が携帯電話を持つようになったのは、今から9年前のことで、仕事が忙しい中、当時携帯を持たないことで既に変人扱いされていました。周りの方々に迷惑もかけていたと思います。先ほどもお話ししましたように、機械に頼るのは元々邪道であると考えていました。しかし、長女が生まれ、緊急時に必要ということで嫌々所持したのが最初です。

もちろん、現在は何でも最新のものを持つよう心掛けているわけですが、デジタルの世界に目を向けて唖然としたことがあります。それは、デジタルなしに今日の世界は成立しえないという(極めて当たり前の)事実です。

当たり前すぎて気づかないともいえるのですが、電卓ですら欠かすことのできないものです。電車も自動車もコンピュータ制御されており、そのシステムがないと全く機能しないという状況です。それだけではありません。今や炊飯器や洗濯機ですら、それらを不可欠としています。逆にデジタルの入り込んでいない世界を見つける方が難しくなってきました。

パソコンも年々進化し、今では自分の記憶にないものは、すべてパソコンにデータ保存してあるという状況です。Googleなどの検索エンジンに至っては、これまで分厚い辞書を何冊も本棚に置いていたのが、インターネットにつながる環境さえあれば、何でもわかってしまいます。新聞も必要ありません。下手に知識がある人よりも、検索名人の方が重宝される時代です。

そんな中にあって、金融工学の発達には目を見張るものがありました。NHKでもかつて「変わる1秒の重み」という番組がありましたが、株の自動取引では1秒間に数万回の、あるいはそれ以上の取引ができるとのこと。どうやってアナログの人間がそれに勝負できるというのでしょうか。

これは、つまり、人間がそのスピードについていくため、常に意識や脳の高速学習を行っていなければならないことを意味します。2045年問題(人類がコンピュータに支配されるという問題)を待つまでもなく、既にその戦いの火ぶたは切って落とされているわけです。

行きすぎたコンピュータ化問題を否定するのは簡単です。また、その気になれば、自給自足の田舎暮らしに走ることもできます。けれども、私たちの文明は、これが現実であり、そこから逃げることは、同時に何かに追いかけられるということでもあります。

そのため、「世界がデジタルで動いている」ということに目を背(そむ)けず、正面から向き合うことで、新たな時代が切り開けると考えるようになりました。


(4)言葉を機械で発信するということ
生の歌声がレコードに記録され、カセットテープになり、CDになり、MDになり、やがてコンピュータの記録媒体に録音できるようになりました。そこで再生される音は、基本的には生の声そのものであり、歌い手が目の前にいなくとも、その声や音を聞いて感動することができます。今どき、音楽は目の前で演奏するのが正しくて、録音の再生は邪道だという人はいないでしょう。最近はボーカロイドで作成された機械音声のCDも堂々と売られています。

同じように、人間の言葉も、生の声を録音&再生することもできれば、ボーカロイドのように、音声をデジタル的に合成し再現することができます。言葉を機械から発信するという仕組みは、もちろん、これと同じではありませんが、発想としては似たようなものがあります。

たとえば、祓詞を例に考えますと、これを人間の言葉で行うといわゆるお清めの効果が人間や土地に現れます。その際に、何人かで実験すると、誰の声がいいというのが出てきます。今度はそれを録音し、再生してみます。すると、人間ほどでなくとも、ある一定の効果が出ます。ただし、人間の場合、感情エネルギーという余計なものが入るので、ボーカロイドで祓詞を作ってみます。するとどうでしょう。下手な人間よりも効果が高かったりします。(実際、祓詞は感情が入らない清らかで平らかな声ほどよいとされます)

今度はより本格的な機械について考えます。人間が声を出す時に、ある種の周波数が出ることは以前からわかっています。いわば耳に聞こえる前の状態です。日本語の一音一音はそれぞれが固有の周波数を持っており、音に出さなくとも、その周波数で組み立てられた文章で人間に特定の反応を起こすことがわかります。

簡単にいうと言葉とは周波数そのものであるということです。このようにいうと単純に聞こえるかもしれませんが、その周波数を一音一音特定するまでに約25年の歳月がかかりました。数多くの実験を重ね、都度修正を加え、また発信方式を変更したりしながら、現在ある結論に達しています。

それは、発信のスピードが速ければ速いほど、(当然同じことを繰り返し発信できるため)言語周波数による対象物への影響が大きいということです。もちろん、現在採用している方式が最善ということではなく、更に効果的な方法を現在も追求中です。

これまでに行った実験内容やその結果はとてもここに書き切れませんが、ある時代に日本の中心で行われていたご祈祷の内容は、ほぼ全て実験に成功しています。恐らくは、機械から声を出して現象界を変えるという操作は、聞き慣れないことであり、多分に抵抗もあると思いますので、詳細は別の機会に譲りますが、そのようなこともあるということを知っていただきたいと思います。

ではなぜ日本語なのかというと、秘密はこの日本語の三位一体性にあります。つまり、父韻、母音、子音の三つの関係です。父韻とは、五十音をローマ字で分解した場合の、kstnhmyrwを示し、母音はaiueo、子音はカ行であれば、ka,ki,ku,ke,koのことをいいます。この場合、父である「k」と母である「a」が合わさって「ka」すなわち「カ」が生まれるのですが、父と母が合わさる時に縦波が発生するのです。この縦波が五次元まで抜けるという点が最大のポイントです。

2015年06月22日 (月) | Edit |
皆様、こんばんは。
今日はなぜかずっと眠い一日でした。
今も本当に眠いです。

ところで、
昨日はディズニー映画「トゥモローランド」を見てきました。
だいたいディズニーがやる映画や、ハリウッド映画は、
闇の支配者といわれるグループの宣伝映画といわれます。

そのような観点でこの映画を見てみますと、
いろいろわかることがあります。

たとえば、2045年問題や、パラレルワールドの存在、
また特定の周波数を流し続けて人間を洗脳する手段があること、
ただし、未来は変えられること、など。

一方でエジソンの時代の真の科学者であるテスラが出てきたり、
タキオンという光よりも速い粒子(これにより時間をコントロールできる)
の話が出てきたりしてて、一見SFっぽいですが、
これらは既に存在する技術のお話をしているのでしょう。

あまり詳しく話すとご覧になる楽しみがなくなるので、
この辺にしておきますが、余裕のある方は是非見に行かれることをお勧めいたします。

では、続きです。
ーーーーーーーーーーー

(2)アナログとデジタル
これまで心の問題は、すべてアナログで処理されてきた歴史があります。また、自分の力で苦労をして、それを乗り越えるのが正しい道であるといわれてきました。基本路線はその通りであり、それを否定する気はありません。

私もこのアナログの世界、また修行の世界に生きてきました。自分なりにですが、それにより、思考の限界、肉体の限界を垣間見ることができました。どの場合でも、自分の目標を達成できた時には、「自分」の力で乗り越えたという充足感に満たされ、喜びも一入(ひとしお)でした。

しかし、あるところで限界がやってきます。これは今にして思うと四次元の限界ともいえるのですが、最後の最後で自分を超えることができないのです。結局は「自分」が完全に抜け落ちたところに答えを見つけるのですが、そこで思ったことがあります。これは時間の問題ではないな、と。今まで気づかなかっただけなのです。

では、時間をかける意味はどこにあるのでしょうか。知識を蓄積するのであれば、時間があった方がいいのですが、五次元に抜け出るためには、四次元のすべてを捨てる必要があります。ということは、蓄積が無駄であるということを知るために時間が必要ということになります。うまくいけば、その時間も無駄ではなかったと言い訳できますが、そうでない場合は人生を棒に振ることになります。

こうして思うことは、時間を圧縮できれば修行はもっと早く終わるはずだということであり、そもそも修行は必要なのかという疑問です。逆に「修行しなければ」という強迫観念のフィルターが消えると、あっさりわかる世界もあります。この「修行」という言葉を「努力」に置き換えてもいいでしょう。

もう一つは、努力をすればするほどエゴが強くなるという自分を見た、ということです。自分は人よりがんばっているという思いが、ある種の優越感を引き起こし、楽をしてがんばらない人を見て、ダメ人間と決めつけていた時期もありました。(実際は自分こそそうなのですが)また、それにより、他人に対する要求も厳しいものになっていました。

そこで再び思うことですが、そうした態度は果たして平和的かどうかということです。努力をすること自体は悪いことではないのですが、それによって、偉そうにしている自分はどうなのでしょうか。今でも思い出すと恥ずかしくなります。

アナログ(人間)ではなくデジタル(機械)の世界に出会ったのは、そんな自分へのお試しだったかもしれません。デジタルで悟れる?デジタルで現実を変えられる?そんな話があっていいのか、というのが最初の印象でした。こんなに皆苦労してやっと掴んでいるものがあるのに、そんな嘘みたいな話で、楽をして掴んでもいいのか、と。

けれども、それが本当であれば試したいという自分もいました。それを邪魔していたのは、それまでの偏った倫理観です。本当の意味でそこを抜け出るのに、一定の時間が必要でした。

そしてある時気づきました。「自分の力で何とかしようとすることこそ、エゴなんだ」と。結局、自分の力でやったということを人に言いたいんだな、ということがわかりました。それから急速にデジタルの世界に目を向け始めます。



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